このはずくのくたくた日記

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help リーダーに追加 RSS 6月19日(火) こころ

<<   作成日時 : 2007/06/20 01:13   >>

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画像岩手に来ています。こちらはまだ梅雨入りしていません。毎日暑いです。
このところ、ブログの内容に伴って写真にだんだん可愛らしさがなくなってきたので、写真だけでもいっちょう乙女チックにいきますか、と思い立っての薔薇。かわゆらしい。オールド・ローズやイングリッシュ・ローズってきれいですよね。ローズ・ガーデンに行きたいな。
●ーラの泉によれば、植物は心優しいから弱っている人にすすんで力を与え、自分は枯れてしまうんだそうです、涙。献身的なのね。今の私のそばに植物がきたら、きっと枯れてしまうわね。……でも少しだけ、力を分けてほしいと思ってしまう。花は美しい心がそのまま形になったものだそうです。お花は、優しくて強いパワーがあふれているね。

退院した母は、酸素の管をつけて生活しています。リハビリの成果が出て、身の回りのことはだいたいできるので、私のするのは食事の用意、洗濯、買い物、犬の世話など。夕方にわんこと遊ぶのが、いちばんの息抜きかも。
お天気がよくて、遠くの山並みが藍色のグラデーションで、初夏の植物が発散するいのちの息吹の中を、犬に引っ張られてぐいぐい進んでいくのはおもしろい。しろつめくさ、あかつめくさ、背の高い草の影に、小さなへびいちご。頭の上では葉っぱの緑色がお日様を透かして、さわさわいっている。
わんこは気まぐれ。急に走ったかと思うと、ある場所でとまって臭いを確認して動かなくなる。今は本格的な夏が来る前の毛が抜ける時期で、とてもかゆいらしくてしきりに草っぱらに茶色の体をなすりつけています。それはそれで、なにかの草の実を毛にまんべんなく絡ませていることになるのだが……。散歩が終わると、硬めのブラシをかけてやります。気持がいいらしくて、ごろごろと転がります。かわいいやつ。
犬はいいね。いつも誰かが家から出てくると、犬舎のところからじっと見ています。ちょうどブロック塀とフェンスの境目が彼女(わんこ)の鼻面のあたりになっていて、こっちから見るとなにかを期待している二つのつぶらな瞳に出くわすのであった。その目が訴えているキモチを訳すと、「こっちくるの?こないの?」。あるいは「あそぶの?あそばないの?」。あるいは「なにかくれるの?くれないの?」。
邪気がないってのは、いいですなあ。

さて、最近読んだ本は、『少女漫画とアダルトチルドレン』荷宮和子。『ヒステリー』名前を忘れてしまいましたが、フランス人の精神科医が書いたもの。『ベートーヴェン』門馬直美。
メンタルヘルス関係が多いですねえ。なんとなく、自分の心を整理したくて。
アダルトチルドレンのブームは90年代だったかしら。もともとはアルコール依存症の親の元に育ち、親の機能不全の家庭に育った子どもが抱える、精神的な問題を指していた言葉だったのが、次第に指し示す範囲が広がって、親の機能不全の家庭に育った子ども全体をいうようになって。これが結構多くの人にあてはまっちゃったりなんかして、社会現象になりました。
『少女漫画とアダルトチルドレン』は、ACを極限まで広げた解釈をとります。いわく、「現代日本に生まれた子どもは、すべからくアダルトチルドレンになる」という態度。少女漫画に描かれた少女の心の有り様に、ACの心の叫びを読み取る試みです。共感するところと、多少ついていけないところがありましたが、取り扱われている作品には私も思い入れのあるものも多く、興味深く読めました。
『ヒステリー』は、自分がヒステリー性疾患を持っているので。なにしろ、感情がつまって喉のところにつっかえている、なにか塊がつかえている気がする、と心療内科で言ったら「ヒステリー球だね」とあっさり言われたもので、びっくりしたわけ。個人的な感覚と思っていた事柄に名前がついているなんて。これ、このわけわかんない状態を、ひとことで指し示せるなんて。
ともかく、この本で印象に残ったのは、「ヒステリー者は自分が完全に幸福な状態になることに、非常に罪悪感を感じ恐怖を覚えるため、恐怖に対する防御反応として、自らヒステリーという状態を作り出すのだ」ということ。うへえ。……なんかとんでもないことを知ってしまった気がする。まだうまく消化できないけど、このはずくという謎の、根本のほうに関わるなにかだという気がしました。

現在進行形で読んでいるのは、これまた偉大なるACでありますところの夏目漱石『こころ』。ああ、先生ー!高校の教科書に載っていたけど、こんな話を載せちゃっていいんでしょうか……と改めて思いました。
漱石はロンドン留学中にひどい神経衰弱に陥って、帰国後も神経症に苦しんでいました。妻子と別居するほどだったといいます。友人・高浜虚子のすすめで、自己療養の試みとして小説を書き始めたのでした。村上春樹にもあるね、『小説とは自己療養の試みである』。
私は今回『こころ』を読み直してみて、何度か春樹の『ノルウェイの森』を思い起こしました。設定には多くの違いはもちろんあるけれども、先生の言葉を借りれば「不自然な暴力」、つまり自殺をめぐる物語、そして恋愛の物語であるという共通点があります。不自然な暴力が与える深い傷のことを、考えてしまいます。
よよよ。悲しい物語だなあ。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
漱石、しばらく読んでないなぁ! でも、読めば新しい発見が必ずあるだろうと思う。春樹と漱石に共通点がある、というのはさもありなん、て感じ。春樹はドストエフスキーを尊敬するというぐらいで、テーマの中心にあるのは自我の中の暗い闇のような部分。漱石にもそういう資質を強く感じます。先生とK、「僕」と「ねずみ」のように、ある種、濃密で閉じた人間関係の中で、それぞれの本質が現れていく。漱石は「社会」を描かない、春樹と同じように。いわば自己との対話にリアリティがあり、不特定多数の関係を含んだ関係は本質的には彼らにとって「リアル」ではないのだろう。それゆえに彼らは深く潜行する。この二人にとって恋愛が重要なテーマになり得るのもそこから来ている。 
カピ
2007/06/22 02:26
>カピさん
『こころ』で印象的なのは、「悪人と善人がいるのではない。善人が悪人になるのだ」という先生の言葉。ほんとうに、その通りだと思う。普段は善良な人間の中にある悪って、実は恐ろしい。時にさほど意識せずに行われる、ごく普通の人の悪こそ罪だと思うことがあります。
中原中也は「死んだ後、私自身の気がついていない罪によって裁かれるであろう」という意味のことを言っています。また、「札付きの不良はほんとうの不良ではない。札のついていない不良こそ恐ろしい」という言葉もある。春樹もまた、隠された暴力や悪の恐ろしさにひじょうに自覚的な作家の系譜だなあ。
恋愛は感情を豊かにするけれども、恋愛と嫉妬心は表裏一体のもの。自分の内側にこんな負の感情があるのかと知って驚くのも、また恋愛によってもたらされるものであったりしてね。Kはほんとうにかわいそう。でも先生もまた哀れ。
このはずく
2007/06/23 02:36

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