このはずくのくたくた日記

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help リーダーに追加 RSS 4月22日(火) 歯医者が嫌いだっ!

<<   作成日時 : 2008/04/23 03:39   >>

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画像食事の最中にがりっという不穏な音と感覚があり、確認すると歯の詰め物がとれていた……。がーん。
近所の目星をつけていた歯医者に電話するも、予約がいっぱいで「最短で土曜日」だと言われ、当日見てもらえそうな別の歯医者を探して行くことにしました。うー、腰が重い。
いや、しかし考えてみれば潮時だったのですよ。ずいぶん長いこと歯医者に行っていなかったけれど、自覚症状はあったからねえ。甘くてにちゃにちゃするお菓子を奥歯で噛むと、すっごい沁みる……ってこれかなり重症ぽくないですか。親知らずのとこ、がんばって磨いていても虫歯になっちゃうんだよなあ。上の両方の親知らずがやばいことなってんで〜、ということはわかっていましたが、ちょっと放置しすぎました。
今回は歯医者に行くいいきっかけだったと思って、腹を決めました。この際、悪いところを全部治しちゃっておくんなまし。

とれた金属片を持っていったのですが、詰め物の中で虫歯になっていたらしくて、新たに削られ、型をとることに。しくしく。この歯は気がついてなかった。どうして中で虫歯になっちゃうんだろう。もうそこは、私の中では「痛みに耐えてよくがんばった!感動した!終了!」なんだけどなあ。
そもそもこのはずく、歯が弱い。虫歯になりやすいみたい。幼い頃から歯医者とは切っても切れない仲のなのであります(嬉しくない)。磨いても磨いても、しばらくするとどこかがしくしくし始めるのです。にっくきミュータンス菌。ほんとやだ。
だいたい、歯の調子が悪いと性格まで暗くなります。このはずくがひねくれたのは虫歯のせいだと言っても過言でない(?)。文豪ドストエフスキーは、小説の中でまるまる1章歯痛について恨みがましく書いている作品があるくらいで。虫歯は人をペシミスティックにする。
今日も今日とて、このはずくは歯のせいで「生きるとは苦なり」という気持ちでいっぱいになりました。克服しても克服しても、私の人生に襲い掛かる歯の痛み。それに伴う治療の恐怖、そして忍耐。ああっ、こうして少しずつ確実に失われていく健康な白い歯。もっと大きな命に関わる病気と闘ったこのはずくであるはずなのに、なぜこの繰り返し襲ってくる虫歯の苦しみにこんなにもいちいち動揺してしまうのか!?
治療を終えて、憔悴しきった私。「どうしたの?」と娘に心配されるくらい、テンションが下がっていました。思っていた以上に、虫歯があった。これから長丁場になりそうです。ちなみに問題の親知らずは、がんばっても虫歯になるので抜くことに決定。

癒しを求めて、ハーブ苗を衝動買いしてしまいました。ミントです。かわゆらしい。
いつも枯らしてしまうのですが、懲りずにまた連れてきちゃいました。さっそく葉っぱを少しだけもらって、ハーブティーに浮かべてみました。植物さん植物さん、すこしパワーをわけてくださいね。

今日の爆問学問は、哲学者の木田元先生でした。しかし、NHKって、いつも見たい番組が総合と教育でかぶることが多い。爆問学問と「赤毛のアンを読む」。英語でしゃべらナイトとリトル・チャロ。困るんだよね。今日は木田先生をとります。
木田元先生はハイデガーやメルロ・ポンティが専門で、「反哲学」ということをよく書いておられます。ニーチェやハイデガーなどが言わんとしていたことは反哲学である、と。ざっくり言うと、それまでの西洋哲学の体系はプラトン主義、イデアが絶対の善と考える思想の積み重ねです。永遠で完璧なイデアに対して、不完全なありのままの自然はむしろ悪と捉えられていました。ニーチェやハイデガーは現代文明への批判を行ないましたが、その根底にあるプラトン以来受け継がれてきた哲学を批判し、なおざりにされていた自然を見直そうとしました。だから反哲学。
爆笑・太田とのやりとりがなかなかおもしろかったです。木田先生、哲学を始めたきっかけは絶望で、絶望から逃れるために『存在と時間』を熱心に読んだけれど、『存在と時間』では絶望から逃れることはできなかったそうです。語学に打ち込んでいるうちに、いつの間にかそれまで直面していたものの外側にいたんだって。そういうことってあるかも。
私も「絶望」と言ってよいかわからないけれど、得体の知れない苦しみの中にいた時、それを解消するための言葉を探して様々な書物の中を探求してみたことがあります。でも、その暗闇をもがいている時にはいつでも暗闇に捉われ続けている気がします。自分が生み出す苦しみの理由や解決策を、言葉によって言い当てようとすればするほど、言葉の合わせ鏡みたいな世界に閉じ込められていくような気がした。村上春樹曰く、『何を投げてもブーメランみたいに自分の手元に帰ってくる』時期ってやつですね。
なにか全然違うことに打ち込んでいるうちに、いつの間にかそこを抜け出ているものです。しかし、それが語学ってのが変わってる。うちのカピバラさんも語学好きみたいですけど、そういうところが多少はあるらしい……私にはちょっとよくわかりませんが、笑。

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
語学は効果あります。精神安定剤的な効果がある。私の場合、リスニングをしたり、辞書に触れたりしていると、心が落ち着く。
何だろう? うまく説明できないんだが、普段自分が使ってるアタマの回路から外れるってことが第一かも。日常にない文字の形、日常にない音に触れるってことかな? また、どれほど学んでも、日本語同様、英語も数限りなく知らない単語やフレーズが出てくる。海のように広いので、終わるとか飽きるということがない。そこがまたいいんだよね。
イマイチ共感されづらいとこかもしれないが…
まあでも、このはずくでも、本に触れる喜びってのは少し似たとこがあるから、そこはわかるんじゃないかね。
カピ
2008/04/23 03:56
>カピィ
なるほど。普段使っている回路から離れるってのは、なんかわかる気がします。
日本語というツールを使ってものを考えている限り、結局その構造に捉われてしまうことになるのかもしれない。春樹が最初に小説を書き始めた時、英語で考えてから日本語に直していったのと似た理屈だ。
私はその喜びに到達する以前に、わけわからんくなって脱落するんだけど、苦笑。もうちょっと頭良く生まれたかった。
このはずく
2008/04/25 02:19

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