このはずくのくたくた日記

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help リーダーに追加 RSS 5月20日(火) 久々に読書記録

<<   作成日時 : 2008/05/21 02:23   >>

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画像バラの写真がたくさんあるので、貼ってみました。これは小さいサイズで撮ったもの。
PTAの会合やサークルの雑務があり、ばたばた過ごしています。今年度はなにかと学校に関わる機会が多いので、顔見知りのお母さんも私にしてはずいぶん増えてきました。あまり社交的とはいえないこのはずくにも、気さくに話しかけてくださる方がいて感謝。多分、若干は浮いてるけど、なんとかやっていけてると思います。
明日は壁面ディスプレイの貼り替えに行きます。今回は梅雨バージョンです。一緒に壁面を担当している方が幼稚園教諭の免許を持っている方で、壁面の作り方にとても詳しく、教えてもらいながらやっています。私は文学好きを活かして、季節の詩や俳句選び。
先日、サークルのメンバーのお子さんがお便りや壁面を見て、私のイラストのファンになってくれたと聞いて、ちょっと気をよくしています、笑。見てくれてる子もいるんだなあ、努力が報われた気分です。よし、がんばるぞ。←単純なもので。


このところ、読書からは離れていたので、そろそろ活字が恋しくなってきました。図書館で先日、『アンネの日記 完全版』『人と思想 マザーテレサ』『ヘルマン・ヘッセ 庭仕事の愉しみ』を借りてきました。
まず、『アンネの日記』。小川洋子がアンネ・フランクについて書いた本を書店でパラパラと見て、興味を引かれたのですが、その前に『アンネの日記』をちゃんと読んでおきたくて。ナチスドイツによって迫害された少女という固定されたイメージよりも前に、いきいきとしたひとりの少女、アンネ・フランクに触れたいと思いました。実際、日記を読むと、13歳の感受性の強い少女がいきいきと動き始める気がします。人物の輪郭がくっきりと際立って私の中で生きてくると、同じ人間に対して憎しみの気持ちを向けてしまう人間の闇に、複雑な感情がこみ上げてしまいます。
アンネに深く同調し、憤る気持ちと、自分自身もまたこういった罪を重ねる「人間」であるという意味で暗部をえぐられる気持ち。人間を愛したい、私も人間だから。でも愛してる、と言い切ることは難しいね。私も場合によっては被害者かもしれないし、生まれた時代や場所によっては加害者になるかもしれない。

でも、人間が決して美しいものでないことを承知の上で、それでも愛そうとする人がいます。それがマザーテレサ。彼女の愛は大きすぎて、私なんかが何か言うのもおこがましいのだけれど、どうしてこんなふうに人を愛せるのだろう、ととても気になります。
「信仰があるから」ということは簡単だけれど、信仰があったって並大抵のことではありませんよね。彼女は個人的な部分を語ったり、語られたりすることを好まなかったそうですが、私はそんな彼女の「個人的な部分」こそ知りたいと思ってしまいます。
神の愛に照らされている人間は、エゴを超えられるのか?エゴでいっぱいの私のような者が人間をほんとうに愛することはできるんでしょうか。私にもできることって何でしょうか。

先日、友達との会話の中で物語を作るときの動機という話になり、友達は「自分の中に表現したい何かがあるわけでなく、人間を見ていて作りたくなる」と言ったので、おもわず感嘆の声をあげてしまいました。「うわー、人間が好きなんだねえ。私、人間嫌いだからなあ」って思わず口にしてから、しまったと思いました。
友達は他者に向かって開かれているひとで、私は内向するタイプ。私にとっては自分の内的なものが創作のモチベーションであって、逆に課題は他者をいきいきと描くことだったりする。下手すると自分の分身みたいなキャラクターを増殖させかねない……。だから、他人に興味を抱くところからお話を広げていく友達に驚嘆したわけです。
しかし、「人間嫌い」って簡単に口にしちゃいけなかったね。人間を愛したいという気持ちはあるんですよ。人間に興味があるから、本を読んだり映画をみたりするんだろうし。ただ、生身の人間がちょっと苦手。それを越えたいけど、目下修行中。

画像突き抜けたいねえ。聖人のようにはとうてい生きられないけど、小さなところから自分の殻を突き抜けて、周りの人間を愛せるようになりたいですね。人から吸い取るだけでなくて、パワーを放射できるように。
この前までうつだった人が、急に大きく出たね、笑。
写真はバラとガーデニングショウで買ってきて、テーブルの上に飾っているバラ。植物はある意味、究極のお手本ですなあ。決して能書きを語ることはない。私は「書きたいと言う病」に罹患した人間なので、語らないで済ますことはできないんだけど。

これらの本を読み進めて、また書きたいことが出てきたら書きます。
最後にヘッセについても一言触れておこうかな。ヘッセは私が心から尊敬する作家の一人です。好きな作家にも色々なタイプがあり、必ずしも自分と似たようなタイプだけを好きになるわけでもないのですが、ヘッセは気質的にもかなり共感する部分の多い作家です。自然に対するまなざし、汎神論的なところ、詩人で夢想家なところなど、かなりぐっとくる。
将来、裕福になる機会があれば、全集をそろえたい。(エゴ)

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コメント(2件)

内 容 ニックネーム/日時
人間愛。永遠のテーマだね…。
カピも極めて内向的なタイプ。ほっとくと人間社会から極限まで離れて遠くへ行ってしまう。自分のそういう部分に対して、深海のイメージがあって、私はさながらチョウチンアンコウかメガネウオみたいなものです。
そうは言っても、私の中にも友愛のようなものをもたらす存在でありたいという気持ちはある。そして、傲慢なようだが、今までも可能な限りそうしてきたつもりではある。自分の身のまわりの小さな世界でしかないかもしれないが。
今は、身近にいろいろなことがあって、小さな輪でさえも、その内側を平穏に保つのは難しい。というか不可能。あるいは、小さな輪であればこそ、ぶつかり合うのかもしれないが。こういうことが、世界の人を救うとかっていう大きなテーマとどうつながるのか、つながらないのかもよくわからない。
マザー・テレサにもし子どもや夫がいたら、どんな風に愛したのだろう?
カピ
2008/05/21 02:55
>カピ
深海魚だ……。陸にあげると付加が少ないから、つぶれちゃうんだよね。無理に人間社会に引っ張り出すと、カピさんも口から浮き袋出てきちゃいます。

そうだね。身の周りの小さいところを平和に保つのも、なかなか大変。というか、身の周りを大切にできてはじめて、もっと大きな話なんだと思う。日常の小さな物事を慈しむ気持ちや、周囲を思いやる気持ちも持てないのに、理想ばかり振りかざすのは恥ずかしいこと。
でもね、でも、そういう些細なことは直接大きなことを動かせないかもしれないけど、必ずつながっていると私は思ってる。動かせないからといって、意味がないわけではない。私たちは目に見えない微細なバイブレーションを生み出して、影響しあっているような気がする。些細な思いですら。
ぷは〜っ、マジレスだわさ。
このはずく
2008/05/24 01:08

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