このはずくのくたくた日記

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help リーダーに追加 RSS 6月1日(日) ブラザー・サン シスター・ムーン

<<   作成日時 : 2008/06/02 03:55   >>

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画像『ブラザー・サン シスター・ムーン』という映画を観ました。13世紀イタリア、アッシジの聖人・フランチェスコの半生を描いた作品です。
裕福な織物商の1人息子として育ったフランチェスコは、ペルージャとの戦いに参戦し、重病を患います。生死の境をさまよい、奇跡的な回復をとげた彼は、自分の中に大きな変化が起こっていることに気がつくのです。大きな変化、それは信仰への目覚めです。圧倒的な神の愛に魂を貫かれたフランチェスコは、富や財産を拒絶し、貧しい者、病める者、弱い者に寄り添って生きはじめます。
咲き乱れる野の花、青い空、風に揺れる麦の穂、小鳥はさえずり、動物たちが戯れている。その一つひとつの命の輝きをいとおしむように、フランチェスコは目に映る、耳に聞こえる、肌に感じるものを噛みしめるのです。利発で前途有望と思われていた青年が、戦争の後で呆けたように野原でぼんやりと過ごしているのを見て、街の人は「気がふれた」と噂します。
たしかに、まともな人たちから見れば、フランチェスコの行動は奇行です。染物工場の使用人たちを外に連れ出して笑いながら踊ったり、財産を窓から投げ捨てたり。そしてとうとう、「地上に財を積んで何になるというのです」と言って、家を捨て、富を捨て、着ているものも捨てて街を出て行きました。

ほとんど全編にわたって涙が止まらない。こんなに心を震わせる映画に出逢う機会はめったにありません。フランチェスコがどういう人であるかはだいたい知っていたけれど、私が知っていたのはただ知識としてだけだったと思い知らされました。素晴らしい映画。
お洒落で贅沢な暮らしをしていた青年が、ある時劇的な変化をとげる。生き方すべてを変えざるをえないような変化が、一瞬にして起こる。私は信仰に目覚めた人に起こる、一瞬の神秘体験にとても興味があります。そこで一体なにが起こるのだろう、と気になって仕方がない。でもそれは外側からでは計り知れないことです。体験してみないことには。フランチェスコについても、やっぱりそこは1回限りの個人的な体験ですから、計り知れないです。
強烈な愛が彼を貫いたのだろうということしかわからない。

『主よ、貧困と飢えの内に生き死ぬ、
 世界中の同胞のために働く私たちを、
 そのことにふさわしい者にしてください。
 私たちをあなたの平和の道具としてお使いください。
 憎しみのあるところに愛を
 争いのあるところに許しを
 分裂のあるところに一致を
 疑いのあるところに信頼を
 誤りのあるところに真理を
 絶望のあるところに希望を
 闇に光を
 悲しみのあるところに喜びをもたらすものとしてください。
 慰められるよりは慰めることを
 理解されるよりは理解することを、
 愛されるよりは愛することを私が求めますように
 私たちは与えるから受け
 許すから許され
 自分を捨てて死に
 永遠の命にあずかるのですから』
(『聖フランチェスコの祈り』より)

最初は彼を「おかしくなった」と思って遠巻きにしていた友人たちも、フランチェスコと接しているうちにひとり、またひとりと仲間になっていきました。ひとを惹きつけてやまない何かを持っていたのでしょうね。仲間や理解者に恵まれたことは、よかったと思います。一歩間違えば、異端者として火刑に処されていたかもしれませんよ。
聖人というのは、常識からはみ出しているものです。さらに貧しさを理想とし、実践するのは並大抵のことではありません。裕福な人が慈善活動をするのと違って、自分がボロを身にまとって物乞いをして生きる、いわば最下層の生活をするのですから。フランチェスコをはじめ、仲間たちはみな裕福な地主の息子たちでした。その人たちが自らすすんで最も貧しいものになるのです。
「我らのためにこの世において自己を貧しくした神の子は我々より高貴である」
「財において貧しく、徳において富むこと」などという言葉があります。地上ではなく天国に財を積みなさい、ということですね。なかなかどうして、そのようにはできないのですが。
しかし、フランチェスコの生き様、言葉は私の心を揺さぶってやみません。私にとっては難しいように思える彼の行動も、彼自身にとってはとても明快で単純なことのように見えます。神様がおいでになる、というその揺るぎない真実によって、フランチェスコは満ち足りているので、他のものをたやすく無にすることができたのかもしれません。そのような単純さ、純粋さがなによりも周りの人々を惹きつけたのかもしれません。
この映画を観て、私もひたむきで素朴なフランチェスコの姿に打たれました。
それから、フランチェスコを誰よりも理解し、彼と共に清貧に生きることを決意した乙女・クララにも強く魅かれるものがありました。フランチェスコとクララは清い愛によって結ばれていたのだなあ。アッシジの女子修道院はクララ会と呼ばれています。

あまりにも素晴らしい映画で、これを観た後には思わずキリスト教に回心したくなってしまいます。それくらい、魂に響くことうけあい。

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コメント(3件)

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ブラザー・サン シスター・ムーン、観なさい。
いや〜、よかった! 壊れ、打ち棄てられた教会に一つ一つ石を積むフランチェスコ。その姿を見た友が、一度は「さよなら」と言って立ち去ろうとしたが、離れることができず、そのまま彼の元に留まる場面は印象に残りました。
既存の宗教的権威とはまったくかけ離れて、自分の道を行くところがいい。
教皇権が最も強かったあの時代に出てきた、あるいはそういう時代だからこそ出てきた人なのだろうと。ある種、イエスの再来なのかもしれない。世が乱れるからこそ求められる。十字軍の略奪、人々が汚れた富に狂喜する時代。
何ものにも縛られない。素晴らしいことだ。彼はまた、グループから脱落する者にも優しかった。
私はこれからアッシジのフランチェスコを心の師として、心の友として、生きていくことにした。
そういうことで、よろしくお願いします。
カピ
2008/06/02 04:20
って これ おおむかしの映画ですかい?
それとも リメイクなの?
もし 昔のなら たぶんリアルタイムでみゆき座かなんかで観ましたわ。
たぶん まだ世の中の汚れを知らない頃にw たぶん中学生くらいだったと思はれる。
もっと真剣に見とけば その後こんなに汚れることもなかったのか・・・

おそし
pie
2008/06/03 00:12
>pieさん
そうですそうです、pieさんがまだ世の中の汚れを知らない頃にご覧になられた映画です。
フランチェスコに関心があったことと、江原さんが「人生を変えた1本」として紹介していたことから、取り寄せて観てみたのです。江原さんじゃないけど、人生変わりそうなくらいのインパクトはあったなあ。
遅いということはない!多分。

>カピ
フランチェスコの存在を認めた、教皇インノケンティウス3世の真意が気になる。フランチェスコの生き様に心を動かされたようにも、政治的思惑があって泳がせておいたようにも見える。
いずれにしても、絶大なる富と権力を持っており、教皇が皇帝より上であることを公言してはばからなかった人が、単純にフランチェスコの清貧の思想に感動したかどうか……。気になるところです。どんな思惑が働いていたにせよ、フランチェスコが裁かれなくてよかった。

カピさん、乙女のようにぐすんぐすん泣いていたね。案外いいやつだな、笑。
このはずく
2008/06/04 04:24

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